西瓜前線
2008/08/14

2008.08.14 <西瓜前線>             三代沢信寿
桜前線のことなどすっかり忘れ、日本列島を、梅雨前線が北上している頃、初めて西瓜が食卓にのぼった。熊本産だった。
その後、鳥取産、どういうわけか内陸部の信州産があらわれ、石川産に変わった。スーパーマーケットで買ってきた、西瓜の産地だ。例年の順番では、今頃、西瓜前線は秋田県まで北上していることだろう。
立秋の二日後、アトリエで仕事をしていると、料理の先生が、けたたましく駆け込んできた。何事かと思う勢いだったが、行って見ると、なるほどと思わせる袋の中身だ。青い大きなビニール袋から野菜があふれている。その横で、奈良からやってきた小柄なアッちゃんが、肩で息をしている。周りで見ている料理教室の生徒から、驚きと、ため息のようなものも聞こえてきていた。
声をかけてもらえば、車まで迎えに行ったのに、とマユミさんが言うと、皆が深くうなずいた。
この量と重さでは、駐車場から引きずってきたのではないかと思わせるほどで、実際に野菜を取り出した後で、丈夫そうなビニール袋の底に穴の開いているのを知ることになる。
床に転がった一抱えもありそうな西瓜、その横に小玉西瓜、南瓜、冬瓜、胡瓜。ウリ科の野菜のオンパレードだ。
西瓜は、熱帯アフリカのサバンナや砂漠地帯が原産で、日本には、室町時代以降に到来したらしい。園芸分野では果菜(野菜)、市場では果物、果実で取り扱われているそうだ。歳時記では、西瓜は立秋の後が旬なので、秋。
アッちゃんは、畑も田んぼも持たないのに、農業の道を選んだシンイチロウ(アッちゃんが呼び捨てにしているので)と結婚、我々は、困難な道を歩んでいる二人の応援団だ。
八等分して、冷凍庫で急速冷凍。昼食のあと、よく冷えた西瓜が、食事に彩を添えた。
食べ終わった後で、種だけを集めていると、「種の数を数えるのですか」とアユミちゃんに言われた。私は、植物の種を数えるクセがある。見透かされているようで照れくさかったが、西瓜を半割りにした分だけ、種を天日干しにした。大雨が通り過ぎた今朝、空を見上げると、秋の空色。
太陽の日差しを避けて、軒下で数えた。498粒あった。丸々一個では、996粒になる。
ついでに、ブドウの木を調べると、18房あった。一粒口に含むと、酸味の効いた懐かしい味がした。種を出すと3粒だった。1房に、何粒なっているか?これは、来年の楽しみに残しておこう。

夏の一日
2008/07/30

2008.07.30<夏の一日>             三代沢信寿
10日ぶりに、恵みの大雨が降った。
明けた翌朝、4時半頃、白々と明けた空、遠くビーバーの池あたりから、かすかに、細く、小さく、湧き出してきた一滴の水のようなヒグラシの鳴き声。一つの鳴き声が、周囲の里山の仲間を呼び集め、ひたひたと、近づいてくる。やがて、開け放された寝室の窓から、入りきらないほどの合唱が、大波のように覆いかぶさってくる。やがて、引き潮のように、鳴き声が遠ざかっていく40分間ほど、どんな音でも聞き逃さないぞと、体はベッドに釘付け、耳はダンボだ。
入れ替わりにウグイス(名前は、ソプラノ歌手のマリア・カラスからとってカラス。ウグイスがカラスとは紛らわしいという説もある)の声。絶妙な鳴き声、まさに名人芸。
それから暫くまどろんでいると、新聞配達の軽自動車が止まる音。足音が近づき、くるりと去って行った後に発車する音。
階下のカーテンを開けると、窓の向こう側に、アマガエル(ゴッホか?北斎か?背中の色と模様で解るが、腹しか見えないのでわからない)がへばりついている。ツルツルしたガラスなんかものともせず、重力も引力もまるで関係ないと、白い腹が豪語している。
門を開けて、池を覗き込む。持ってきた、鰹節の粉を水面に落とす。すると蜘蛛の巣に半分ほど引っかかる。見えなかった、悪かったよ 、と出てきた蜘蛛に言いながら、場所を替えてまき落とす。石のあいだにいたザリガニ(名前はゾクゾク)が、名づけたようにゾクゾク出てきて、大きな右手のハサミと、小さな左のハサミを器用に使って、餌を口に運んでいる。4匹の金魚(名前はワズカニ、アオサギに食べられて100匹いたものが、わずかに4匹になってしまった)は、まだ餌をまかれたことを、わかっていない。
下から上に、段々と咲き上がってきたオニユリの花には、黄アゲハチョウ、黒アゲハチョウ。
残り少なくなったギボウシの花に、ハナマル蜂が蜜を求めて出入りを繰り返している。
オニヤンマ、シオカラトンボ、名前を知らないトンボが、空中遊泳。
朝食をとりながら、小鳥の餌台を見ると、雀たちが(名前はチーパッパ)仲良く、また争いながらついばんでいる。
アトリエで制作をしていると、コガネムシが一匹紛れ込んできた。これは逃がすけれど、アブはハエたたきを使い、宮本武蔵になって打ちのめす。
昼間は、暑さを室内に入れないために、窓を閉めカーテンも閉じる。
とばして、深夜、ベッドから窓の外を見上げると、月と見まがうような明るい星が。
目をこらすと、満天の星。熱気と冷気が入れ替わる時刻。涼しい風が。

猫の夜回りさん
2008/07/27

2008.07.27<猫の夜回りさん>
近所にトラ、黒、灰色、白の4匹の猫がいる。白は紐に繋がれているのか、年に数回しか顔を見せない。姿を現したときは、決まって「しろ しろ」と言う声が後を追ってきて、しばらくして、抱きかかえられた鳴き声が遠ざかっていく。もともと猫は嫌いではなかったが、一夜干しのハタハタを持ち逃げされてからは、追い払うようになったので、私と視線が合うと、どれもが逃げ支度の態勢になる。
さまざまなモノ、生き物に名前をつけてきた。天井裏にやってくるネズミには、「チュウサンカイキュウ」と名づけた。かつて、多くの人が憧れ、その位置にたどり着くまでに、どのくらい汗をかいたかわからない「中産階級」から頂戴した。このごろ聞かない言葉だ。
「チュウサンカイキュウ」に何か食われたことはない。どこからか天井裏に入ってきて、どこからか出て行くだけの、つまり素泊まりなのだが、いないに越したことはない。考えつく、あらゆる方法を試したが、よほど気に入ったのだろう。宿泊代を払わずに、出入りを繰り返していた。
料理の先生は、毎月一週間は「学校給食たべ歩き」で家を空ける。その間自分で食事を作るわけだが、この時とばかりに、10匹の煮干でダシをとった、豆腐の味噌汁をつくる。
世界中の料理が食卓にのぼるが、この味噌汁だけは、自分でやってみたいやり方がある。
余計なことだが、豆腐の切りかたがこうだ。まな板に水平に、間隔を変えて二回包丁を入れる。次いで、上部に4回、間隔を変えて包丁を入れ、右端から、少しずつ間隔を変えて切っていく。同じ大きさに切りそろえるというのが料理の基本だが、誰もやらないことをやる という創作精神が、豆腐を目の前にするとどいうわけか芽生えてくる。このやり方で、全部違う大きさになった豆腐が、お椀の中で不ぞろいにこっちを向いている。
それたついでに「冷やっこ」について話すと、包丁を豆腐に対角線に入れて、三角形を作る。出来上がった二等辺三角形を、立てたり寝かしたりして、皿の上に組み立てる。その皿はガラス、陶器、磁器と使い分ける。皿の下に、ギボウシやアカメカシワの葉を敷くと更にバリエーションが広がる。切り方は台形や不定形になることもあり、それぞれの組み合わせは、無限の楽しみとなる。
さて、話は味噌汁ではなく、10匹の煮干だ。この煮干を門の脇から土塀にそって、1メートル間隔に置いておく。日を変えて裏庭にも同じように、また秋刀魚の頭が出たときには、表と裏の両方に置くことにした。腹のすいた猫を、ネズミ撃退の監視員しようと考えたわけだ。案の定、猫はこの作戦に乗って、ある雨の日、草の中からアタマを出し、また消えていく姿を目撃。作戦は順調にはこんでいるようだ。与える時刻を夕方にすると、ほとんど夜に食べているらしい。
猫の夜回りさんは、宝探しのように、鼻を頼りに探しているのだろう。裏庭の土手の草が、一部なぎ倒され、「けもの道」ならぬ「猫の道」が、上り下りの頻度の多さを物語っている。猫の徘徊が、「チュウサンカイキュウ」の足音を遠ざけたとすると、やがて夜回り料の請求書がやってきて、煮干をもっと増やせと書かれているかもしれない。
猫の名前は、夏目漱石の「我輩は猫である。名前はまだない」にちなんで「まだない」とつけようかと思ったが、全部ひっくるめて「我輩」にした。「我輩のトラ」「我輩の黒」のように呼んでいる。言葉ひとつで私のものになった。

<大人買い>
2008/07/15

2008.07.15<大人買い>
寺西将樹・川尻真紀子ガラス二人展が終わり、残ったガラス器を返送するために梱包作業をしていた。すると、撮影用に一ヶ月前に送られてきた最初の作品を紐解いた時のことから、展覧会の前日までに送られてきた、12個の段ボール箱を開封するまでのこと、一日がかりでディスプレイしたその時のことなどが、もう遠いことのように思えてくる。
10年前に二人展をやったときには、まだ二人は結婚をしていなっかたし、会場も借りていた、違う所だった。その翌年には、納屋の改造が終わっていたので、現在の場所になり、展覧会を開いた。我々は、彼らの応援団だ。
しばらくして彼らは、勤めていた横浜の工房から独立して、一緒に信州に仕事場をつくり、二人の娘が生まれたようだ。年賀状の差出人の名前がひとつ増え、その後の賀状に、もう一人、年内に増えそうだと記されていた。娘をおぶってガラスを吹いているという話も伝わってきた。
ひとつひとつのガラス器を手に取り、眺め回してから、新聞紙とクッション材で梱包していると、染色作家だった父親を手助けしていた母が、私をおぶって作業している光景が、重なって浮かんでくる。
このギャラリー空間は、私の制作の場でもあるが、年に3回、素晴らしい仕事をしている人を紹介する場所でもある。展覧会の会期中は、私は作家ではなく、画廊主、つまり商取引を行うのが仕事となり、たくさん売れることを願う商人の顔になる?
新聞やテレビで取り上げられたから、初めての人もやってきたが、お買い上げの人は、圧倒的に料理教室の生徒だ。我が家では、日常的にガラス作家の作品を、食卓に登場させている。それは、料理教室でも同じで、そのことが、生徒の鑑賞力を高め、暮らしを豊にしたいという願いと購買が、つながっていくような気がする。「毎年生徒は成長していくわ」とは、料理の先生の述懐だ。
料理教室の生徒で、我が家から一番近いヨリちゃんに、梱包を解いて真っ先に連絡した。焼酎グラスと、ドレッシングを入れる、かわいらしい、耳付き容器を買っていった。寺西さんと川尻さんの作ったものだ。夫婦での二人展の場合、両者の作ったものが同じように売れることを願っているので、幸先のいい出足だ。
料理教室のある日、ケイコちゃんが、あらわれた。彼女は生徒の中で二番目に近いところ、隣の集落からやってくる。私はいつも同じ、「今日は何でやってきたの?」と聞く。天気のいい日は、散歩にちょうどいい距離だと、思っているからだ。
「今日は車にしましたわ、帰りが暑いから」来る時は下りだが、帰りはさえぎるものがない、上り坂だ。昨年の展覧会でも、何か買っているはずだ。
彼女は、ギャラリーに足を踏み入れるなり、こう言った。
「今年は、大人買いをするわ」
サンゴをイメージして作ったという、両手のひらに乗る、美しいボールが、6個選ばれた。私も始めて見る、川尻さんの作ったものだ。他の生徒たちも、自分の選んだものを手にしながら、いいものを買ったねと言っている。聞いたことがない「大人買い」という言葉が、何か不思議な響きをもって、耳の奥に残っている。

イラカの波
2008/06/26

2008.06.26
<イラカの波>
「甍の波と雲の波 重なる波の中空を 橘かおる朝風に 高く泳ぐや鯉のぼり」
童謡の中で、もっとも好きな歌のひとつだ。
この歌の素晴らしいところは、美しい瓦屋根の日本家屋と、その上の晴れた青空に浮かぶ白い雲、橘の花の香りが、朝風に乗って漂っている、その空に鯉のぼりが高く、大らかに泳いでいるというように、情景と匂いが、鮮やかに浮かんでくるからだ。二番、三番を歌おうとしたが、歌詞がわからないので、「日本童謡集」を開いた。ところが載っていないのだ。ネットで検索したら、意外なことがわかった。この歌は童謡ではなく、「文部省唱歌」で、今から95年前の1913年に、教科書に載ったものだという。
1910年から1944年までの間に、教科書に掲載された120曲を、「尋常小学唱歌」といい、全部が日本人の手によって作られた。驚くべきことは、作詞、作曲者に多額の報酬を支払う見返りとして、国策として、名前を出さないと言う契約をさせられたようだ。「鯉のぼり」の作詞者はわからないままだ。
なぜ、この歌が出てきたかと言うと、朝、瓦職人のOさんから、「ガラ」を持っていっていいですか という電話がかかってきたからだ。「ガラ」というのは、瓦の欠けたもので、もう何回も運んでもらい、家の周りに敷き詰めていた。ぬかるみにならないためだが、いらなくなった土製品を、有効的に再び土に戻すという意味合いもあるのだ。
彼から電話がかかってくると、いとも自然に「鯉のぼり」の歌が出てくる。
それは、彼が「男の料理教室」の生徒だった頃、日に焼けた彼の姿を見た料理の先生が、「瓦の上でサーフィンを楽しんでいるのね」といったところからきている。「甍の波の上でサーフィンをしていたので、これこの通りにきれいに日焼けしましたよ」と、うまく彼が切り返したので、彼とこの歌が、私の頭のどこかで、手をつなぎ、連想ゲームのようにセットされてしまった。
電話を切って、外に出たら、もう駐車場にダンプカーが入ってきていた。
「鯉のぼり」の歌を、歌おうとしていた矢先だ。先日の夕方、彼が突然やってきた時に聞いた、この近くで仕事をしているという話で想像していた場所は、まるで隣の家の距離だ。その位すばやく現れた。
2トン車に積まれてきた「ガラ」が、荷台が傾くと共に、場違いな音を立てて滑り落ちた。静かなこの田園地帯の、数少ない全ての人が、何事かと腰を浮かせ、外に飛び出してもおかしくない、乾いた音だ。
もう一回やってくるという、彼のことばに、コーヒーをいれて待つことにした。橘の香りではなく、挽きたての、コーヒー豆の香りの向こうに、「甍の波」で、職業としての、サーフィンをこなす、自信に満ちたOさんの姿が浮かんでくる。

話を食べる
2008/06/19

2008.06.19
<話を食べる>            
庭を眺めていたら、あちらの葉が動き、ふっと、こちらの葉が揺れ、そちらも首を傾げた。葉っぱの鍵盤が小刻みに動き出し、目で追いかけなくても、ガラス窓の向こう全体が、緑色のピアノ曲を演奏し始めた。雨だ!と、その時はっきりと気づいたが、実は、眼だけはそのことを知っていて、意識だけが違うところ、つまり目の前にある羊羹の包み紙、いや羊羹そのものに向けられていた。
今日という日しかなく、これが「最後の晩餐」になると思ったときに、この羊羹を食卓に並べられるかどうかという、重大なことを考えていたのだ。私は餡子ものには目がなく、これが最後の甘いものとなれば、それは「大福餅」でもなく、「最中」でもない。そう言いながらも、黒豆の入った「豆大福」や、パリッとした皮に包まれた「最中」の魅力には負けそうだと思うと、どういうわけか、次に「金つば」が登場し、薄い衣の焼き加減に思考が走ってしまう。そんな枝道に入ると、止め処もなく餡子に関する体験資料が、頭の中からこぼれ出てくる。そんな考えに、後ろ髪を引かれながらも投げやって「最後の晩餐」に、戻ることにしよう。
ひとつとなれば、やはり羊羹を選ぶことになる。
隣町で作っている、その羊羹は、実は「栗羊羹」なのだ。今になって栗の字をくっつけたのには訳がある。一切れ目には栗の姿を見ることはない。それはそうだろう、厚さが15ミリくらいに切るわけだから、最初の一切れくらい無地ということはいくらでもあることだ。しかし、次の包丁が入り、菓子皿に盛り付けられるたびに、切り口に見える漆黒の闇のような、羊羹色にはうなるだけだった。というのは、この羊羹を同じ人から数回頂き、そのつど、同じ感想を持ってきたからだ。今回は二本「二棹」もはいっていた。
何回目かの切り口から、「冥王星」のような小さな栗の欠けらを見たときに、入れ忘れたのではないということに気がつく。栗がたくさん入っていれば上等という考えがあるとすると、対極にその「栗羊羹」はあるようだ。この栗の量を、五代、150年にわたり、伝え守ってきたものは何であろうか?おろそかにすることはできないことだ。自分を試されているような気がするので、食べるたびに、心して口に運び、ゆっくりとかみ締め、穏やかな心で飲み込んでいる。
しかし、最後に口にする、甘いものの一品である。多少栗の姿があったほうがいいじゃないかという考えがアタマをもたげてきた。すると、思考経路の脇に追いやられていた、「ラムレーズンのアイスクリーム」が、私はどうしたのよと詰め寄ってきた。
そういえば、デザートを何にしようかと考えていたが、メインは何にしようかな?しかしまず飲み物を決めなければ、いやそれは酒に決まっている。その後のことを決めようとしているのだ。それは何?と「双六」は振り出しに戻り、気がつけば雨は上がり、シオカラトンボの舞う先に、鋭いホトトギスの声。「ホットイテンカー」

庭のホタル
2008/06/18

<庭のホタル>
10日ほど前の夜、近くの川に出てみたら、ホタルが舞っていた。川面すれすれに、下流目指して飛んでいく光り、農機具の上で一休みしている光り、川上に向けて揺れ動く光もある。数は少ないにしても、頼りなげに舞い動く、小粒の光りの、なんと美しいことだろう。たくさんの光りの粒が、呼応するように点滅する、息を呑むような場面には、心が高ぶる美しさがある。しかし、わずかな光りが、葦の葉陰に、零れ落ちんばかりに、浮遊する姿には、ある種の、安心感、安堵感のようなものを感じる。なぜだろうか?
翌日、我が家の庭を舞っているホタルを見た。次の日は、二階の網戸に止まっていた。いずれも、わずか10秒くらいで、視界から消えてしまう。そのつど二人の足音が、上下左右にバタバタと入り乱れて、家の中を移動している。
昨年の今頃、深夜に帰宅したときのことだ。裏庭から飛び立つホタルの光りを二階から見た。光りは大屋根を越えたようなので、あわてて階段を駆け下り、表に出てみたが姿はなかった。
そこで、二日にわたって目の前に現れたホタルが、裏庭の「私のビオトープ」から飛び立ったものであることを、証明?したくなった。それから毎日、一刻一秒を争う夜になった。闇の中の裏庭を、目を皿のようにして眺め始めて、もう何日経ったのだろうか? 

ガラスと梅
2008/06/07

2008.06.07
<ガラスと梅>
7月のアタマに「ガラス2人展」を企画しているので、作家から、20点ほどの作品が送られてきた。案内状に使う写真撮りのために、庭のテーブルに広げながら、作風の違いは、制作するその人、そのものだとつくづく思ってしまう。
最初に知り合ったのが、鎌倉・稲村ガ崎「TA彩ギャラリー」で企画したグラフィックデザイナー・コウジタニさんのガラス展。当時、テラニシさんは、横浜のガラススタジオで職人として働いていて、アマチュアのコウジタニさんが展覧会用に作る、ガラス制作のお手伝いをしていた。カワジリさんも同じ工房で働いていたが、その後、信州に工房を構えて独立、2人は結婚、二児の親となった。
今回は、金銀の雲母を散りばめたものに、新たにルリ色を加え、カワジリさんの、サンゴをイメージしたという、色とりどりのコーラルグラスなど、使いやすく、食卓が楽しくなる食器、酒器が勢ぞろい。料理教室の生徒に予告展。反響大。
ヒトミちゃんから、大量の梅が届く。梅酒に「HITOMI」と名づけよう。

水無月のモロッコ
2008/06/06

2008.06.06
<水無月のモロッコ>
東京からの帰路、東名高速の名古屋近くで、このあたりが梅雨に入ったことを知った。そこまで、パラパラと気まぐれで降っていた雨が、東名阪道に差し掛かると、そのニュースで職業意識に目覚めたかのように、ドラマーはフロントガラスに「入梅」を連打してくる。災いをもたらすが、恵みの水を運んでくるこの雨を、いつからか、快く受け入れるようになったので、小気味よいジャズを聴いているようだ。
翌日、近づいていた台風は運良くそれたが、小雨のあと明るい曇り空になった。6月は水無月。水が無い月ではなく、水の月。
駐車場に車の止まる音がした。話し声と、足音だけが土塀の向こう側を移動し、門の暖簾をくぐって、料理教室の生徒が2人姿を見せた。その姿を追うように、次々と車が滑り込んでくる。今月の料理教室のメインは、モロッコ料理「タジン」。円錐形に尖った蓋が特徴の鍋で、野菜、肉、魚を少量の白ワインで蒸し焼きにするという、私が、かつてモロッコを旅したときに食べたもの。しかし生徒全員初めての料理。
グリッシーニに生ハムを巻いたものや、ハードタイプのチーズのトップに、オレガノやその他のハーブを付けた6種類のオードブル、ブルガリア風ヨーグルトのデザートなど、生徒の好奇な目と言葉が行きかう食卓。笑い声が満足感に包まれて、開け放された窓から曇り空に飛び立っていく。

東京での展覧会
2008/06/05

2008.06.05
<東京での展覧会>
我が家から東京都心まで、車で約430キロ。最初の休憩は伊勢湾岸道の刈谷サービスエリア。ここのトイレはモダンで清潔、しかもジャズ音楽が流れている。女子トイレには、ゆったりとしたソファーが並んでいるそうだ。次は浜名湖SA。ここでは、湖面に向かって、なだらかに開ける草の斜面で弁当を広げる。すると、目を見張る料理が現れ、添えられた便箋一枚に書かれた、料理の先生の、ウイットにとんだ説明や指示?を読みながら朝食をとる。最後は富士川SA。ここを出ると、眼前に富士山が立ちはだかっているように見える。箱根の山を越えるときは、なぜか、いつも同じ歌が浮かんでくる。それを振り払いながら、一気に関東平野に走りこむ。FM放送のジェイウエーブが、都会的な語り口で話しかけてくる。
表参道の中ほどにあるギャラリーは、オシャレな建物。行きかう人も、若者が圧倒的。駅は人の波、人の洪水、滞在8日間で、目にした人の数は、手持ちのコスモスの、種の数ほど?

花の散る音
2008/05/24

2008.05.24
<花の散る音>
裏山で、一段と腕をあげたウグイスが、私に向かって鳴いている。鳴き始めの春先は、あらゆるものに向かって鳴いていたが、誰も気に掛けなくなり、話題に載せようともしない今となっては、自分の縄張りを、恋敵のオスに向かっては、「あっちに行け」と知らせ、聴く耳を持つ人間には「どうだ!」と誇らしげに歌っているように思える。遊びを知っているのは人間だけではなく、ウサギが雪すべりを何回も繰り返していたという、イギリスの研究家の目撃談にもあるように、マイペットのスズメたちも、けっこう雨どいや庭石の間で遊んでいる。必要とも思えないことを繰り返しているからだ。昔、柿の花が咲いたのを音で知った。家の横の、大きな柿の木の下は、子どもたちの、メンコや陣取りなどの遊び場で、固く踏みしめられていた。柿の花は軽い音を立てて落ちていた。この話を多くの人にしてきたが、信じた人は一人もいない。今、門の脇の柿が、目立たぬように花盛りだ。しかし木の下は草のじゅうたん。しかも、雨上がりだが、耳を地面に近づけてみよう。遠く花の散る音が聞こえるかもしれない。

道端美容室
2008/05/23

2008.05.23
<道端美容室>
60キロ制限の普通の国道なのだが、100キロ以下の車はいない。急カーブが多く、事故が多発することで有名、しかし無料の、名阪国道を亀山に向かった。混雑している亀山バイパスをさけ、鈴鹿の街に入ったら、美容室に予約した時刻に、あと1時間あった。そこで少し足を伸ばし、と言うよりも予定のことなのだが、ベルシティーの駐車場に乗り入れた。ここでのひそかな楽しみは、買い物をした後で食べる、レディボーデンのアイスクリームだ。しかし空腹だったので、着いてすぐに店に向かい、「バカの一つ覚え」をそのままに、「ラムレーズンをコーンで」と、いつも顔ぶれが変わる店内に声を掛けた。色の違うおとなりや、そのとなりに目をやりながら10年間同じものを頼んでいる。ベンチに座って,道行く人を目で追いながら舐めるひと時は、ちょっと気恥ずかしいシアワセな時間だ。マナブさんに、髪の毛をカットしてもらいながら、「ハサミと櫛があれば、世界中のどこでも、例えば道端でも商売が出来るね?」と言うと、「そうですね」と言う答えが鏡の中からすぐに返ってきた。小説家は紙と鉛筆、不動産屋はボールペン1本と電話があれば出来そうだけれど、金になるまでに時間がかかる。私の職業も加えて、さまざまな仕事が会話にのぼったが、ヘヤーカットの右に出るものがない。シャンプーは家に帰ってからでいい「あと、ほうきがあれば掃除をして」と道端の美容室で話が盛り上がり、気がついてみると頭は五分刈りの短さになっている。

オリーブの蕾
2008/05/22

駐車場の周りに植えてある、7本のオリーブ、たくさんの蕾をつけた。花が咲くと、どんな昆虫がやってくるのだろうか?

パラソルの下で
2008/05/21

お日様が見え隠れ、風に吹かれてランチタイム。近くに、アゲハチョウが。

緑色の風
2008/05/20

2008.05.20 <緑色の風>
雨が上がった朝、二階から見ると、段差がついた田んぼの「のり面」に、太陽が黒い線を描いている。平筆で力強く横に引いた線の向こう側は、水が張られた田んぼなので、正確な平行線が連続して連なっていることになる。具象の風景なのに抽象絵画を見るような気持ちになる。「田毎の月」の、曲線で成り立った千枚田も美しいが、人工的な直線で整備された田んぼもまた美しい。我々の先祖は、水が漏れたり、抜けたりしないように工夫して水田を作り、稲を植え、実りの季節を迎えてきた。この間に、海や湖では解らなかった、水は水平、平らになるということを学習して、それから派生した多くのことを会得してきたのだろう。「学校給食たべ歩き」で、一週間、新潟県に行っていた料理の先生が帰ってきた。北の村上市から南魚沼市までの5校を訪ね、取材してきたようだ。皿の上、アケビの新芽は、学校の裏で先生たちと一緒に摘んだもの、そのほろ苦さが、去っていく春の心に引き戻す。半球体は「麩」小麦が原料、何とも素晴らしいフォルムだ。

季節外れ
2008/05/19

2008.05.19
<季節外れ>
自分でつく、搗きたての餅を食べたくて、作業場の隅に臼と杵とセイロを出しっぱなしにしておいた。昨年末から7〜8回餅つきをやって、そのつど、あの豊な白い形状と、ふくよかな食感とを楽しんだ。際立った味があるわけでもないのに、これほど惹かれるのは何故だろうか?3月になると、中心部のスーパーマーケットの店頭からもち米が消えて、手に入れるのが難しくなった。それに少し後れて4月になると、あれほど情熱を込めて絶賛していた餅を、食べる意欲が消えていった。同じように、冬の初めから、呆れられながらも春の半ばまで聴いていた、これも大好きなクリスマスソングも、もう聴く気にならない。北海道からは、30度の真夏日から、一夜明けたら雪景色という驚くべきニュースも届く。前線が通過した今朝は、サマーセーターをはおるほどだ。

オレ様がやってくる日>
2008/05/18

2008.05.18
<オレ様がやってくる日>
料理の先生が、2年間続けていた、子ども料理教室では、小学1年生から6年生までの生徒12人が学んでいたが、多忙になったので止めることになった。同じ頃、私が始めたアート教室の子どもの部に、料理教室で学んでいた小学3年生の男の子1人と、5年生の女の子2人が入った。女の子には弟がいて、1日体験してから決める、ということでついてきた。その子は、「なーんだ つまんねー」と言っていたが、帰るときには生徒になった。女の子2人は中学に進むときにやめ、もう1人の男の子も来なくなった。つまんねーと言っていた弟は、自分のことをオレ様といっていたが、その後2年間1人でやってくる。子どもアート教室のある第3日曜日は、「オレ様の日」になり、今日はオレ様がやって来る日だ。まず、前回の時に忘れた、ノコギリをとりに竹林に行った。ついでに細めの竹を数本持ち帰った。彼には、薪ストーブ用に積んである、樹齢20年の桜の木を素材に与えた。いつも難しい道を選ぶんだよなーと言いながら、二股に分かれた、長さ1メートルくらいの木の肌に自分の名前を彫った。次に穴を開け、2本の細竹を、両翼を伸ばした鷹のように突き刺した。出来上がった作品には「木と竹の融合」というタイトルをつけた。可能性が翼を広げている。

抜け殻
2008/05/17

2008.05.17 <抜け殻>
門扉の脇に、カタツムリの抜け殻が落ちていた。車に乗り込もうとしたら、南天の木の枝に、セミの抜け殻が止まっていた。昨日見た、トンボの抜け殻といい、このところ、ずいぶん抜け殻を見るなあ、と思いながら、隣の集落に向かって車を走らせた。空き家の話をしたら、「散歩がてら行ってみたいわ」という、料理の先生を案内したのだ。「ここは、眺めはとてもいいわね」と着くなり褒めた。ここまで来たのだから、パカ爺の飼っていた鯉はどうなったか見てみようと思い、足を伸ばした。着いて、鯉のいない水槽を覗いていたら、後ろの家から顔見知りの人が出てきて、パカ爺が「山から運んできて、ここで倒れた」と、朽ち果てた重そうな材木に、あごをしゃくった。焼き物をやっていた仕事場も周囲も荒れていた。「子どもは戻ってこない、こっちは老い先短い、家をなおすよりもよりも自分が楽しんだほうがいい、ここも、空き家になったあそこの家の面倒までみている。」と振り返った。彼の指の先に、人の抜け殻は静かに建っている。

田園の朝
2008/05/16

2008.05.16<田園の朝>@田舎に到着したときの晴れやかな気分。A小川のほとりの情景。B農民たちの楽しい集い。C雷雨 嵐。D牧人の歌 嵐の後の喜ばしく、感謝に満ちた気分。ベートーベンが作曲した、交響曲第六番「田園」は、5楽章からなりたっている標題音楽だ。昨日に続いて穏やかな今朝、雀たちに餌をやり、裏庭の「私のビオトープ」を観察していると、耳の奥にベートーベンのいかつい顔が浮かび、それがかき消えて、反復する美しいメロディーが流れてくる。彼が丁度200年前に作曲し、この間鮮度を落とさず、多くの人に親しまれている。ふと見ると、アマガエルのそばにカタツムリの子どもが。第6楽章には、ひそかに、これを加えようか。

白と黒
2008/05/15

2008.05.15<白と黒>
相撲の夏場所が始まった。土俵の上で、巨体がぶつかる度に、テレビの画面から生活のかかった、鈍い地響きのようなものが転がり出てくる。白星がいれば、必ず黒星もいて、時には金星をもぎ取った力士が、祝い酒を頭に、息遣いも荒くインタビューに応えている。朝、二階の窓から見渡すと、西の方角から飛んできた白鷺が、ゆったりと、遠くの田んぼに舞い降りる。濃くなった緑色の小山を背景に、白い大型の鳥が舞う姿は、ため息の出るくらい美しい。通勤してくる白鷺の前に、電柱に止まっていたカラスは、すでに何回も田んぼに足を突っ込み、餌をあさっている。水の中の蛙は、「恋人求む」と鳴きながら、鳥たちの嘴から身を守らなければならない。命がけの恋の季節だ。抜こうか残そうかと考えながら、庭の草と向き合っているので、なかなかはかどらない。日本家屋が、内と外の間に縁側を作り、境界をあいまいにしたように、白と黒で分けられないことがある。それは単なる灰色ではなく、迷い色「迷灰色」かな?

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